南野陽子は歌手になるつもりはなかった

中居正広のミになる図書館で80年代トップアイドルの南野陽子80年代アイドルに関する知らなきゃ良かった雑学を紹介。

南野陽子は「吐息でネット」や「はいからさんが通る」などをリリースしてはいたが、実は歌手になるつもりは一切なかった。

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周囲の早とちりで仕方なく上京

その時代、南野陽子は歌手をやらされて非常に困っていた。

まず、スカウトみたいな形で声をかけられ、東京に行く事を誘われた。その際に親が勘違いし、南野陽子が通う担任の先生にその事を相談すると、担任は南野陽子のクラスメイトの前で「南野さんは歌手になるらしい。」と公言してしまい、クラスメイトからはお別れのカードまでもらってしまい、引くに引けなくなり東京に来て歌手になった。

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不合格狙いで歌わずにいたら合格

そして、事務所にレコード会社のオーディションに行かされ、南野陽子は歌手になるつもりはなかったのでそのオーディションの場で「歌えません。」と審査員の方々に発言したら、それが話題になり、変な子がいるとオーディションで残ってしまった。

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だからレコーディングで歌うのも恥ずかしかったので、ブースの中にディレクターやプロデューサーなど全員に入ってもらい、最初は合唱からはじめ、徐々に人が抜けていき、最後に南野陽子が1人で歌うパターンを収録していた。だから南野陽子であるデビューシングルは最初「天使のハンカチ」であったが、その様子を見た作詞家が「恥ずかしすぎて」に変更をした。

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